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Jeordie White(a.k.a.Twiggy / Twiggy Ramirez)を知るためのブログ。時空をさかのぼって不定期更新中。May the force be with you!

『Dope Hat』撮影現場レポ【雑誌】RIP(1995年10月号)

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 マリリン・マンソンがメンバー全員で表紙を飾る、音楽雑誌『RIP』の1995年10月号。この表紙からてっきりメンバーみんなが何か語っているのかと思って入手したところ、悲しいことにトゥイギーをはじめマンソン以外のメンバーは、登場するけれど一言も喋っていないという事実が発覚しました。インタビュアーがマンソンにしか話を聞かなかったのか、それとも聞いたけど誰も答えようとしなかったのか…(後者の可能性大)。

 とはいえ少なくともトゥイギーがその場にいるということと、『Dope Hat』のミュージックビデオ撮影時の様子が分かる貴重なインタビューだったので、紹介したいと思います。この記事、かなりのボリュームなので時間をかけて少しずつ訳したのですが、難しい単語やひねった表現が多すぎて、何度か息絶えそうになりました。途中で、「あ、これはトゥイギーが登場しないまま終わるっぽい」と悟ったときの悲しみたるや…。もはや解説の余力なし。というわけで、本文のみでお楽しみください!

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マリリン・マンソンのダークな冒険

執筆者:Del Jame 写真:Robert John

おい、誰かダンサーの女の子たちを連れてこい。ウンパ・ルンパの奴らがそわそわしてるぞ!」「準備はできてるんですけど…」「ニップレスはつけてるか?」「一人はつけてます」「彼女たち、体に塗ったホイップクリームをウンパ・ルンパに食べられるって分かってるんだろうな?」「えーと、いずれ分かるでしょうね」

「誰か、チキン見なかった?」「血の近くだよ」「血ってどこ?」「風船ガムの機械のあたりだよ。ほら、中に薬が入ってるやつ」

 これは、マリリン・マンソンの最新ビデオ『Dope Hat』の撮影現場で交わされている会話のほんの一例である。これを読んで、ビデオ目当てにテレビの前に走ってチャンネルをMTVに合わせるのはまだ早い。というのもマリリン・マンソンのメンバーは、このビデオは間違いなく検閲に引っかかると予想しているからである。ロアルド・ダールの小説『チャーリーとチョコレート工場』はそもそもかなり変わった作品だが、映画『ミュータント・フリークス』のトム・スターン監督が手がける今回のマンソン版は、さらにその上を行っている。一艘のボートを思い浮かべてほしい。そこには、鎌やらカミソリの刃つきキャンディ、巨大な舌、恐怖に震えあがった可愛らしい子供たちが乗っている。さらにオレンジ色にペイントを施された小人二人(黒人と白人)に、裸同然の女性たち――そしてもちろん、マリリン・マンソンのメンバーも。

 バンドのメンバーを紹介しよう。まずは、ベーシストのトゥイギー・ラミレス。安食堂のウェイトレスから剥ぎ取ったようなグリーンと白のワンピースに身を包み、いつものように魅力を放っている。目にはあまり生気がなく、退廃と不条理に満ちた現場の状況を反映しているようだ。しかし、トゥイギーを責めてはいけない。まだ数時間は、この邪悪なサーカスのような現場に耐えなければならないからだ。つづいて、ギタリストのデイジー・バーコウィッツ。頭頂部を剃り上げた緑色の髪が、頭を覆うカーテンのようだ。新しいギターを弾きながら、撮影の出番を待っている。そして話題の新ドラマー、ジンジャー・フィッシュ。バンドのメンバーも全員、彼の加入に興奮気味である。キーボードのマドンナ・ウェイン・ゲイシーはみんなから、名前の由来となった殺人犯ジョン・ウェイン・ゲイシーの愛称であるポゴと呼ばれている。若き日のアントン・ラヴェイそっくりの姿で、不安そうにそこらじゅうを歩き回っているポゴ。本人の告白によると、全身をぴったり覆うラバー・スーツ(五芒星デザインのジッパーつき)に夢中なのだが、そのラバー・スーツは脱ぐのがあまりにも大変すぎて、着たまま寝る方が楽なのだそうだ。

 さて、レコーディングやツアー、今回のようなビデオ撮影は、われわれの目には簡単で楽しそうな仕事に見えるが、実際はどうなのだろうか?

 というわけで、最後のメンバーがマリリン・マンソンである。彼こそが“牧師”――つまり、バンドの首謀者であり発言者、そして思索家だ。マリリン自身の発案により結成されたこのバンドは、彼にとって自分のダークな世界観そのものであると同時に、偽善や不正に対する怒りをぶつけるための手段でもある。彼らの素晴らしいデビュー・アルバム『Portrait of an American Family』。その歌詞は、疎外感や自己嫌悪、セックスと暴力、子供の頃の恐怖といったおぞましい物語に満ちあふれている。『Get Your Gunn』を例にとると、こんな具合だ。「無垢な肉を食らうんだ/主婦を叩きのめしてやる/中絶反対の奴らを殺してやる/おまえがやらないことをやってやる/眠りにつくまで自分を殴るんだ/おまえが蒔いたものをおれが刈り取る/おれは自分の体を傷つけてしまう/自分が自分でなければいいのに」。

 マリリンは、「悪魔の世代」の代弁者なのだろうか? そうとは限らない。華奢で贅肉のない体にはタトゥーと自傷行為の傷跡こそあれど、彼は、永遠なる矛盾、陰陽、善と悪に満ちた存在であり、おそろしいほどの才能を持ったボーカルなのだ。もしここに一本の線があってそのどちらか片側に立つよう言われたとしたら、マリリンのような人間は、その線に向かって放尿するだろう。そういうところが彼の魅力なのだ。

「すべてはショーの一部だ。でも、もし人生のありとあらゆる瞬間がひとつのショーだとしたら? それって、もうショーとは言えないんじゃないかな」とマリリンは語る。「マリリン・マンソンというのが、ぼくが人生のある時点で演じることに決めた役柄だとしたら、それを演じてない自分がもう想像できないんだ。ぼくにとっては、いまや人生すべてがショーなんだよ。仮想現実というより、現実を超越した現実なんだ。まるでテレビ画面の向こう側にいるみたいにね。ぼくは、自分がやっていることに強い信念を持っているよ。すべてがマリリン・マンソンの一部であり、マリリン・マンソンのすべては、ぼくがやっていることにつながってる。何かに囚われたような状態だけど、それがぼくの好みなんだよ。悩みの種でもあるし、ある意味、楽しみでもあるね。ぼくの性格全般についても同じことが言えるよ。人前に出るのを嫌うと同時に、人前に出ることを利用して成功したいという気持ちもあるんだ。どんな時も、ある種のバランスを取るようにしてる。ぼくの幸せは、まさにそのバランスの中にあるんだ」。

 マリリン・マンソンのライブは、何百万もの人々にさまざまな形で受け止められている。芸術だと感じる人もいれば、娯楽だと感じる人もいる。快く思わない人もいる。世間には、彼らや彼らのライブに対して恐怖を覚える人間もいるのだ。

「人々がぼくたちのことを恐れるのは、その人たち自身が恐怖を欲しているからさ」とマリリンは言う。「恐怖を楽しんでるんだ。マリリン・マンソンっていうのは、遊園地で見かける“自己責任でお乗りください”という注意書きに似ているね。それがバンドの名前だろうが注意書きだろうが、人々はそこに危険なものを感じるからこそ、惹かれるんだ。興奮を得るためだけじゃなく、生きていくために恐怖が必要なんだよ。幸福な状態だと人間は幸せになれないんだ。幸せや解決策なんて、誰も求めてない。彼らの人生に必要なのは、トラウマ的な体験なのさ。なぜなら、自分たちの人生をより良く感じることができるからね。楽しめないものがあることで、何かを本当に楽しむことができるんだ。最高にネガティブなものは、最高にポジティブなものと一体なんだよ。どちらか一つだけを選ぶことはできない。ぼくたちは最高にネガティブな存在だと思われてるけど、それって、ポジティブなものとネガティブなものが純粋に一体になってるバンドを今まで見たことがないからだろうね。ぼくが最高にポジティブなメッセージを発していることに、誰も気づいてないんだ。一見そうは見えないからね。今、道徳的だといわれるバンドなんて、全部インチキだし嘘っぱちだ。強烈なイメージやぼくの問題発言のせいでマリリン・マンソンはちゃんとしたバンドと思われてないかもしれないけど、無害なバンドの奴らは、そういう戦略でやってるだけなんだよ。彼らよりぼくたちの方が創造的で、大胆不敵なんだ」。

 こうやって彼と短い時間を過ごして、分かったことがある。それは、マリリンが誠実な人間だということだ。彼は自分にダークな部分があることを恥じていない。こちらがどんな質問をしてもひるむことなく、穏やかな口調で、知性あふれる回答を返してくれる。

「ぼくはかなり気難しい人間だから、いろいろため込んでしまう。それを唯一吐き出せる場所がライブなんだ。ライブでなら、自分が抱えているものを外に出すことができる。ステージでやり過ぎてしまうこともあるけどね。でもそのためなら、たとえ刑務所行きになったとしても、自分を傷つけることになったとしてもかまわないよ。ステージの上にいる時もそうでない時もいつだって、ぼくはみんなが恐れているものを体現してる。性的にも、宗教的にも、道徳的にも、音楽的にも、タブーとされているありとあらゆるものをね。ぼくたちは誰かの怒りを買わないようにとみんなが避けているテーマに向き合って、新たな領域を作り出そうとしてるんだ。今って、道徳的なバンドになるのはすごく簡単だよね。MTVからOKが出るようにやってれば、簡単に世間に受け入れられる時代なんだから。マリリン・マンソンはそういうバンドとは違うんだ。考えるのも嫌なぐらい、恐ろしいものがつまってるんだよ」。

 一日がかりのビデオ撮影が終わり、マリリンはさらにリラックスした様子で考えをめぐらせている。「ぼく個人としては、恐ろしいと思うことにはなんでも挑戦することにしてる。そうすれば、もう恐ろしく感じなくなるからね。問題の本質に迫るってことかな。自分のやり方で勝負したいんだ。人々に受け入れられないって分かっていても、自分自身の楽しみのためにやってしまうんだよ。そこがいちばんのポイントかな。結局、自分が楽しくなければ、やる意味なんてないよね? といってもぼくはかなりの偽善者だから、言ってることとやってることが矛盾してるんだけど」。

 今回の『Dope Hat』のビデオのように?

「そうだね」と彼は答える。「今回ぼくたちが使ったような性的で不穏な暴力的要素を、子供向けの物語の中に出てくるウィリー・ウォンカと組み合わせるなんて、うまくいくはずがないよね。でも、それが何だっていうんだ? 成功はお金では測れないよ。そりゃお金は欲しいけど、ぼくにとっては大した問題じゃないんだ。それよりも、何らかの形で人々に影響を与えることのほうが、やりがいがあるよ。爪痕を残したり、自己主張したりするのが好きなんだ。ぼくはそういうことに、なによりも満足感を覚えるよ」。

 曲の歌詞や販売物を通じて、マリリン・マンソンは宗教組織を公然と批判してきた。これは本気なのだろうか? それとも、レコードを売るための戦略なのだろうか。

「今じゃ、反宗教的なスタンスすらも、ありふれた陳腐なものになってしまってる。もう、宗教賛成派に回りたいぐらいだよ。それか、ぼく自身の宗教組織を作るとかね。世の中にはありとあらゆるものを憎むような人間もいるけど、そういう人たちとは一緒にされたくないな。ぼくは、大好きで気にかけてることに関しては、かなり思い入れが強い人間だからね。ぼくが嫌うのは、強い反発を覚えるものに対してだけだよ。アメリカで育った人間は、キリスト教とかに影響されて自分の感情をごまかしたり、麻痺させたりしてしまう。敵も味方も愛せなんて言われたら、愛することの価値が何なのか分からなくなってしまうよ。キリスト教は、単なる商品のひとつに過ぎないんだ。マリリン・マンソンと同じようにね。“あなたにぴったりの嘘はこちらです”と言ってるだけだよ。全部、嘘なのさ。ぼくが影響を受けるものや宗教観は、日々変化してる。常に、もっといいものを見つけたいと思ってるからね。神とか悪魔とかっていうのは、自分の人格の中に存在しているものを表す言葉なんだと思うよ。善と悪って言葉も同じで、自分が好きなものと嫌いなものってだけであって、そんなの人によって違うよね。もし本当に神がいたとしても、それをあがめなければいけないわけじゃないし。キリスト教以外にぼくが影響を受けたのは、ニーチェだね。それから、ニーチェの思想を多く取り入れてもっと親しみやすいものにしたアントン・ラヴェイかな。ぼくはどんな時も自分の意見を持つようにしているし、そういった人たちから学んだことを生かして、さらに先へ進もうとしてるんだ。誰か特定の人を信奉することはないけど、いまあげた人たちには大きな影響を受けたし、すばらしいと思っているよ。ただ、信じるのは自分自身だけどね」。

 今後は自分たちがメインアクトを務める全米ツアーのほか、EP『Smells Like Children』のリリースが控えるマリリン・マンソン。1996年にNothing/Interscopeから発売される2ndアルバム『Antichrist Superstar』にも、同タイトルの曲『Smells Like Children』が収録される予定だ*1。この傑作EPにはライブ音源や曲以外のトラックのほか、カバー曲も三曲収録されている。ユーリズミックスの『Sweet Dreams (Are Made of This)』、スクリーミン・ジェイ・ホーキンスの『I Put A Spell On You』、そしてパティ・スミスの『Rock 'N' Roll Nigger』だ。なかでもマンソン版『Rock 'N' Roll Nigger』は素晴らしい。

 ちなみに彼らのデビュー・アルバム『Portrait of an American Family』はマリリンとトレント・レズナーのプロデュースによるものだったが(マリリン・マンソンはトレントのNothing Recordsに所属)、刺激とパワーをもたらしたという意味で、ロック界に必要なカンフル剤だったといえよう。『Snake Eyes and Sissies』『Get Your Gunn』『Wrapped In Plastic』などは、深みがあるだけでなく、まるで伝染病のように口コミで広がりそうな魅力を持つ楽曲だ。すべての曲が重要な意味を担っている。

 マリリンにとっていちばん意味をもつ曲はどれなのかたずねたところ、「『Cake and Sodomy』と『Lunchbox』は、とくに重要なニ曲だったと思う」という答えが返ってきた。「『Cake and Sodomy』で初めて、曲作りに関する自分のスタイルが確立できたんだ。どんなスタイルかはともかくね。『Lunchbox』は、子どもの頃に年上の子たちにいじめられて感じた自分の怒りや、心の傷を表現する手段になった。本で読んだリチャード・ラミレスやジェフリー・ダーマーの精神構造によく似ていると思ったよ。つまり、人生でひどい目にあわされてきた彼らにとっては、怒りを爆発させ、自分をひどい目にあわせた人たちに仕返しをするための唯一の方法が殺人だったのさ。もちろんぼくは彼らとは違う感情のはけ口を見つけたけど、精神構造や心理はすごく似てると思う。考えると、怖くなってしまうよね。自分もあんな風になってしまうのかなって。多くの人間が大量殺人犯に魅了される理由は、そこなんじゃないかな。それから、マリリン・マンソンが必要とされる理由もね」。

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写真もデザインも美しい誌面

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右上にかすかにトゥイギーの姿が

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文字量が尋常ではない

★★目次★★

*1:その後、アルバムには収録されなかった模様。