ジョーディがナイン・インチ・ネイルズのツアーのかたわら、クリス・ゴスとのプロジェクトGoon Moonに取り組んでいた2007年。同じナイン・インチ・ネイルズのメンバーとして一緒にステージで暴れてきたギタリストのアーロン・ノースが、音楽サイト「Buddyhead」でGoon Moonの二人にインタビューしていました。Buddyheadはアーロンが1998年にトラヴィス・ケラーと立ち上げたウェブサイトで、2000年には同名の独立系レーベルもスタートしています。
2021年現在、サイトに記事が存在していないため、複数の情報で確認をとった上で、ファンの方がアーカイブで残していたこちらの文章を翻訳しました。
-------
インタビュー by アーロン・ノース
Buddyhead.com 2007年8月
クリス・ゴスとジョーディ・ホワイトといえば、ぼくたちにはなじみの深い変人だ。みんなも二人のこと、聞いたことあるんじゃないかな。クリスは、自分のバンドであるマスターズ・オブ・リアリティをはじめ、長年にわたって多くのミュージシャンと音楽を作り続けてきた。クイーンズ・オブ・ザ・ストーン・エイジやザ・デューク・スピリットたちの名盤を数多く手がけたプロデューサーでもあるんだ。
ジョーディもクリス同様、たくさんのバンドで演奏してきた。あるバンドではドレスを着てたけど、彼は今でも、ガールフレンドが仕事に出かけていて一人で家にいる時は、ドレスを着てるんだ。1977年頃のハン・ソロを静止画で再現することだってできるんだよ。
二人は一緒にGoon Moonっていうバンドを組んでいて、ついこの間、Ipecac Recordsからニューアルバム『Licker's Last Leg』を発売したんだ。ビージーズのカバー曲も入ってるんだぜ! というわけでBuddyheadのために、くだらないインタビューってやつをやることにしたよ。
みんなで、焼き菓子や最低のバンド、黒人の奴らについて話をしたんだ。誰かを怒らせてしまうといけないから、全部は活字に出来なかったけどね。というわけで、記事をどうぞ。
――まずはじめに、Goon Moonっていったい誰? 何のこと?
クリス:ジョーディ・ホワイトとクリス・ゴスがコラボレーションした音楽のことだよ。たまたまその日スタジオにいた友達にも参加してもらってるんだ。
ジョーディ:そう。70年代の古いCMの、ピーナツバターとチョコレートを持った二人がぶつかるシーンみたいなものだね。クリスと初めて握手したら、二人とも爆発してGoon Moonになったんだ。
――そもそもGoon Moonってどういう意味なの?
クリス:「O」が四つあるから見た目が気に入ったってだけだよ。だから「Loon Coon」でも「Moo Room」でも良かったんだ。
ジョーディ:しかも、響きが最高にクール(Cool)だしね。
――きみたち変人二人が初めて出会ったのは?
ジョーディ:ぼくたち、セブンイレブンで出会ったんだ。二人とも、Ding Dongsのカップケーキの最後の一パックを狙っててさ。最初は奪い合ってたんだけど、その後そのカップケーキを分け合って、縁石に座って音楽の話を始めたんだ。そしたら鳥が飛んできて、クリスの頭にフンをしたんだよ。あの時、ぼくたちが一緒に仕事をするのは運命だって分かったよ。
クリス:ジョーディは覚えてないと思うけど、実は彼と初めて会ったのは、L.A.のザ・ウィスキーでおこなわれた初期のマンソンのライブ後のパーティなんだ。ザ・ドラゴンフライの裏の中庭だよ。ジョーディは、ある有名女性ミュージシャン、というか当時は有名だったって言うべきかな…を撫でるのに夢中だったけど。
――ちょっとジョーディ、それって誰だったの?
ジョーディ:ショーン・イスールトかドニータ・スパークスのどっちかじゃないかな? もし「有名人」って言っていいならね。あれは90年代のことで、ぼくはバンドをやってる女の子に憧れてたんだ。コンテスト的なものだよ。
――ああ、90年代…。すべてがクールだった時代だね。二人は高校時代「クール」だったの? 誰かにいじめられたりしなかった?
クリス:高校にはほとんど通ってなかったけど、登校した時は、マリファナ常用者の小さなグループに紛れこんでいたよ。誰にも気づかれないようにしてた。だけど、ノーバート・ベイカーっていう黒人の子がいて、そいつだけはぼくの秘密を握ってて、ちょっかいを出してきたんだ。飴やガムでごまかしてたよ。
――ニックネームはあった?
クリス:母はぼくのことを「ろくでなし」って呼んでたよ。あれが唯一のニックネームだね。
ジョーディ:ジーンズのメーカーにからめて「ジョーダッシュ(Jordash*1)」って呼ばれてたよ。あれを聞くとなぜか涙が出てくるよ。そう、ぼくは最高にクールだったってわけさ。
――今まで、殴り合いのケンカをしたことはある? あるとしたら勝った?
ジョーディ:小学三年生の時、学校でいちばん強い子が親友だったんだ。アントンっていう黒人の子だったんだけど、ある日彼が、ぼくの顔をシリアルの入ったボウルに押しこんだんだ。彼を叩きのめしたよ。だけど次の日、彼はみんなにぼくのケツを蹴ってやったんだって言いふらしててさ。ぼくは痩せっぽちでオタクっぽい白人だったから、当然みんな彼の言うことを信じたよ。
――クリスはどう?
クリス:ぼくはかなりやんちゃな少年だったよ。近所の子たちとケンカばかりしてた。感情を逆なでしてくるようなバカなやつを見ると、殴りたくなっちゃうんだ。でも14歳の頃にマリファナを吸い始めてからは、その攻撃性をギターの練習に向けるようになったよ。
――誰に影響されて、その年齢でギターを始めたの?
クリス:名前を挙げるなら、ジミー・ペイジ、スティーヴ・ハウ、スティーヴ・マリオット、ロニー・モントローズ、ジョン・マクラフリン、ビリー・ギボンズ、キャット・スティーヴンス、ビートルズ、ブライアン・ジョーンズとかかな。
――若い頃に在籍したバンドで最悪だったのは?
クリス:ディヴァインっていう最初のバンドだね。70年代のカバー曲をやってて、バンド名は俳優の名前からとったんだ。バンド名を「リフ・ラフ」に変えてからは、マシになったよ。
ジョーディ:ぼくのバンドは「ザ・エチオピアンズ」。スピード・メタルのコピーバンドだったよ。『Trapped Under Ice』をカバーしたんだけど、最高だったな。
――どうしてバンド名を「ザ・エチオピアンズ」にしたんだい?
ジョーディ:当時ぼくは16歳で、めちゃくちゃ痩せてた上に、巨大なアフロヘアーだったんだ。いわゆる「フロリダ・ヘアー」さ。ラリー・ピアースってやつがいて、彼は地元の“クール・ガイ”だった。映画『がんばれ!ベアーズ』のケリー・リークを思い浮かべてみて。そいつが、ぼくのことを「髪が生えてる痩せっぽちのエチオピア人」って呼んでたんだ。そういうことさ。
――ザ・エチオピアンズでは何かリリースしたの? 作品が公式にリリースされた最初のバンドは何だった?
ジョーディ:Amboog-A-Lardっていう二番目のバンドだよ。タンパにあるモリサウンド・スタジオでレコーディングして、自主制作盤のアルバムをリリースしたんだ。
――クリスは? 初期のバンドでリリースした作品はある?
クリス:1976年に、自分たちのレコードを出したよ。そんなことやったのは、ごく一部の地元のまぬけだけだったんだけど。7インチのレコードを200枚もプレスしたら、ニューヨーク州シラキュースじゃ、井の中の蛙になれたというわけさ。たしか金管楽器をやるメンバーもいて、A面は『25 Or 6 To 4』みたいなインチキなサイケデリック・ロック、B面には安っぽい最悪のバラードが入ってたよ。未来版ビリー・ジョエルだね…。ぼくたちの頭には、順当にレコード会社との契約を目指すなんて考えは浮かびもしなかった。気にかけてたのは、大きく分けて「A:閃光用のパウダーでまたボーカルが手を火傷してしまわないか」「B:母親の化粧品やスカーフを盗んだせいでゲイと思われるんじゃないか」「C:地元に5人いるグルーピーのひとりと次に寝るのは誰か」ってことだったから。そういうわけで、1987年にリック・ルービンから電話がかかってきてレコードをリリースするチャンスをもらえるまで、10年も待たなくちゃいけなかったんだ。この頃にはリフ・ラフはとっくに消滅していて、1981年に結成したマスターズ・オブ・リアリティが発展したバンドになってたんだけどね。もともとは「ザ・マンソン・ファミリー」か「カズン・イット」って呼ばれてたよ。
――そういえば、マスターズ・オブ・リアリティは今どういう状態なの?
クリス:現状としては、ドラマーのジョン・リーミーがアルバムとツアーに参加できるようになるまで保留中だよ。彼はニューヨークで映画製作も手がけてて、U2の新しいIMAX映画を完成させたばかりなんだ。
――マスターズ・オブ・リアリティには一時期、ジンジャー・ベイカーも在籍してたよね。超すごいよ。どういう経緯で実現したの?
クリス:彼とは1990年、共通の友人の家でバーベキューをやった時に出会ったんだ。その友人がたまたまトーン・ロックのマネージャーもしてて、ジンジャーとはポロ仲間だったんだよ。出会った数日後にはセッションが実現して、二年以上も在籍してくれたんだ。彼と即興演奏をやったのが、すごくなつかしいよ。というか、即興演奏が恋しい。いまや、失われた芸術になりつつあるからね。
――Goon Moonの新作はどこでレコーディングを?
クリス:ジョシュア・ツリーにあるランチョ・デ・ラ・ルナや、エンジニアのエド・モンセフの自宅スタジオであるザ・ハシエンダ、それからグレンデールの壁に開いてた小さな穴かな。その穴、今はもうないんだけど。
ジョーディ:エドはピンチを救ってくれたんだ。死ぬほどびびったね。
――次の質問、どうしたらいいか分かんなくなっちゃった。えーと…。そうだジョーダッシュ、さっきの質問にまだ答えてなかったね。
ジョーディ:ああ、そうだったね…。ぼくたち、まさかこのレコードをリリースできるなんて思ってもみなかったんだ。自分たちのサウンドを求めてあれこれやったり、ただ楽しく音楽を作ろうとした結果が『Licker's Last Leg』なんだよ。まじめにやろうとすると、いつもピエロが飛び出してきたみたいにめちゃくちゃなことになっちゃってさ。まじめになりすぎてると思ったときには、ユーモアでぶち壊すようにしてたから。とにかく有機的でチープな音にしたくて、キーボードの音は全部、カシオのがらくたみたいなキーボードをアンプにつないで出したよ。聴いたら分かると思うけど、ギターも古いゴミ同然のアンプにつなげてて、コンピュータのギターは使ってないし、ボーカルは全部最初のテイクのものを使ってる。ミックスの段階でも、おかしな音はボリュームを必要以上に大きくしたんだ。KROQで流れてるような曲やリンキン・パークみたいに圧縮がかかりまくったクソみたいな音楽じゃなく、60年代のスタイルを目指したよ。
――歌詞の内容は?
クリス:ノーバート・ベイカー。
ジョーディ:フェラしたり、男にフェラしたりすることについて。
――ぼくの耳にも間違いなくそう聴こえるよ。
ジョーディ:うそだよね? 実は、今振り返って初めて曲の意味が見えてきたんだ。作ってた時は、歌詞の大半はデタラメに思えたけどね。頭の中にイメージが広がるような、韻を踏んでる面白い言葉を探しただけだったから。どういう内容なのか一曲ずつ解説してもいいけど、それじゃつまらないよね。誰かの悩みや問題について聞かされるなんて、うんざりだよ。だからぼくは、インストゥルメンタルの音楽しか聴かなくなっちゃったんだけど。
――Goon Moonでライブをやる可能性は?
クリス:ああ、あるよ。もしきみとジョーディがこのくだらないナイン・インチ・ネイルズのツアーを放りだして、ぼくがしょうもないプロデュース仕事を全部引き受けるのをやめたらね。
ジョーディ:いつかやるかもしれないけど、たぶん、テープしか流さないな。
――ニール・ヤングとニール・ダイアモンド、選ぶならどっち?
クリス:ニール・ダイアモンドは、『Holly Holy』とか『Solitary Man』あたりの60年代の作品ならいいね。ニール・ヤングはずっと途切れることなく活動を続けてるけど、『Landing On Water』っていう80年代のアルバムが有名だね。
ジョーディ:知るもんか。ヴィンス・ニールさ。
――最後の質問。ビージーズのメンバーでいちばんかっこ悪いのは?
ジョーディ:亡くなったメンバーかな。モーリスよ、安らかに。愛してるよ。ビージーズは最高さ。同意しないやつは、クソくらえだ。
クリス:ボブ・ゲルドフ。
--------
以上です。三人とも、まあ言いたい放題ですね! アーロン自身のウェブサイトということで、誰にも遠慮せず楽しく語り合ったことがよく伝わる、悪い言葉満載の記事です(笑)。面白い質問も多く、ミュージシャン側はふだん、こういうことを聞いてほしいと考えているのだろうか…という想像もふくらみます。というかアーロン、かなりインタビュー上手ですよね!?
さて、少しだけ補足を。まず、ジョーディとクリスの出会いのきっかけになった「Ding Dongs」ですが、日本ではなじみがないのでどんなお菓子なのかと画像を検索したら、こんな感じでした。ジョーディはともかく、強面のクリスがこれを食べているのは想像つくようなつかないような…。
ちなみにオリジナル記事に使われていたかどうかは不明ですが、Goon Moonがメディアで紹介される時によく出ていた写真がこちら。左がクリス、右がジョーディです。
また最初に在籍したバンドのエピソードに関してですが、「ザ・エチオピアンズ」時代のものと思われるジョーディの写真を見つけました。おそらく1987年に撮られたものです。エクソダスのTシャツを着て、ギターを弾いています。“巨大なアフロ”に覆われて顔が見えづらいですが、ちょっと面影がありますね。
本題のアルバム『Licker's Last Leg』は、かなりアナログな作り方をしたようですね。ボーカルが全部最初のテイクだというのに驚きました。ジョーディは「分かると思うけど」と言っていますが、筆者の耳ではまったく分かりません。ランチョ・デ・ラ・ルナは、クイーンズ・オブ・ザ・ストーン・エイジなどでおなじみのスタジオですね。イギー・ポップのドキュメンタリー映画『アメリカン・ヴァルハラ』にも登場していました。が、グレンデールの壁の穴とはいったい…?
最後に、アーロン・ノースについて。ナイン・インチ・ネイルズでの活動を経て、元イカルス・ラインのメンバーたちとJubileeを結成したアーロンですが、精神のバランスを崩し、2008年に一切の活動を停止しています。2013年のインタビュー(こちら)では双極性障害を患っていることや、音楽の世界に戻る気がないことを語っていましたが、今年(2021年)に入って、久しぶりに姿を現しているのを発見! 下の動画です。
現在、なんとスタンダップ・コメディアンとして活動しているとのこと。ギターを手にとりながら 「音楽そのものをやめたつもりはない」と穏やかな表情で語っていました。
このポッドキャスト、筆者は全然知らなかったのですが、どうやら毎回一人のゲストに約一時間かけてたっぷり話を聞いているようです。ミニストリーのアル・ジュールゲンセンも登場しています。顔ぶれ的に、ぜったいに相性がよさそうなので、いつかジョーディにも出演してもらいたいものです…!
★★目次★★
*1:正しい綴りはJordacheのようです