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Jeordie White(a.k.a.Twiggy / Twiggy Ramirez)を知るためのブログ。時空をさかのぼって不定期更新中。May the force be with you!

マンソン&トゥイギー表紙【雑誌】「Guitar World」1996年12月号(前半)ぼくのいい右手

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 仲良くギターに縛られて、血の気こそないもののエネルギーに満ちた目でカメラを見つめる二人の姿が印象的なこの表紙。アメリカの音楽雑誌「Guitar World」1996年12月号にトゥイギーとマンソンが登場し、一緒にインタビューを受けていました。

 アルバム『Antichrist Superstar』のリリースから間もない時期とあり、レコーディングの様子がかなり詳しく語られています。それだけでなく、トゥイギーとマンソンの出会いや、墓場で一緒に“あるもの”を集めたという楽しいエピソードも。インタビュアーのAlan di Permaさんは、のちにトゥイギーが単独で同誌の表紙を飾った際にも聞き手を務めています。(→こちらで記事にしました)

 ちなみに表紙を見て、てっきりマリリン・マンソンの記事が「SHOCK, RATTLE AND ROLL」というタイトルなのかと思ったら、そうではなく、マリリン・マンソンの記事と同じページに別の特集記事(ショック・ロックの歴史)が挟みこまれるという、なかなか面白い作りになっていました。

 見開きで掲載された最初の写真以外、ほとんどが文字で埋め尽くされているおそろしいボリュームの今回のインタビュー。前半と後半に分けて紹介します。

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危険な企み

マリリン・マンソンが子どもたちを迎えにやってくる

インタビュアー:Alan di Perma 写真:Rafael Fuchs

「ごめんね。まだパジャマなんだ」。マリリン・マンソンはそう言って、ストライプとペイズリー柄の薄手のコットンシャツに身を包み、けだるそうにクリーブランドのホテルのベッドに横たわっている。ちょっと入院患者っぽい雰囲気だ。隣のベッドにいるのはトゥイギー・ラミレス。すでに全身黒の服に着替え、タバコに火をつけようと一心不乱にライターをカチカチやっている。痩せた頬に、青白く柔らかな肌。まるで漆黒のドレッドヘアをもった両性具有の死神だ。

 ジョーン・クロフォードを墓から掘り起こしたようなメイクをしていない状態でも、マリリン・マンソンの外見は人目を引く。悪魔を思わせる不揃いな両目――左目は右目をネガに反転させたようにぼやけている。それから両腕に入った鬼の面のタトゥー。彼が肘をついて思索にふけるたび、おそろしい二つの顔が一緒にこちらを見つめてくる。

 ライブでは異常な高さの竹馬に乗ってステージに登場し、女子高生が大勢いる部屋を武装占拠した社会病質者のように場を支配するマンソン。醜さも混乱もさらけ出し、イギー・ポップ流に自らの胴体を切り裂いて悲鳴や嗚咽、死のうめき声でもってマイクに襲いかかる。さらにトゥイギー・ラミレス(ベース)、マドンナ・ウェイン・ゲイシー(キーボード)、ジンジャー・フィッシュ(ドラム)、そして新加入のZim Zum(ギター)らが地獄のような音を奏でる中、拡声器で演説を始めるのだ。

 イギリスや、モルモン教の本拠地ソルトレイクシティなど一部のアメリカの街では、マリリン・マンソンのライブは禁止されている。いわゆる“公共のモラルに目を光らせる人々”が、最新アルバム『Antichrist Superstar』を聴いて彼らのファンになることはまずないだろう。しかし、あなたが大量生産タイプの悪趣味な住宅に閉じ込められた欲求不満のティーンエイジャーなら、話は別だ。きっと、このバケモノたちは「まさに自分のことを歌っている」と感じるにちがいない。

 悪魔崇拝、男色、ポルノ、薬物乱用、児童虐待、女装、ファシズム、サイコパス、レイプ、殺人、自傷行為、動物虐待…。マリリン・マンソンが扱うのは、アメリカで論争を起こすありとあらゆるテーマだ。彼らは90年代の今、世間に衝撃を与えるのに何が必要かを分かっている。人々が鈍感になりメディアに毒されている時代にこういう挑戦をするのは、簡単なことではない。しかしその役割を買って出た彼らは、実に素晴らしい成果を上げている。

 デスメタルと巨大な昆虫で有名なフロリダーーその沼地でマリリン・マンソンは生まれた。ナイン・インチ・ネイルズのトレント・レズナーに見いだされ、1994年に彼のプロデュースでデビューアルバム『Portrait Of An American Family』を制作、トレントのレーベルであるNothingからリリースしている。バンドは熱狂的…というかカルト的なファンを獲得しはじめ、1995年の『Smells Like Children』でその人気は加速。このEPにおさめられたユーリズミックスによる80年代のヒット曲のカバー『Sweet Dreams (Are Made Of This)』のビデオは、彼らにとってMTVにおける初の大ヒットとなった。再びトレントが手がけた今回の『Antichrist Superstar』により、マスコミにおけるバンドの悪評はさらに高まりそうである。まさにそれこそ、のっぽでこだわりの強いフロントマン、つまりマンソンがはじめから企んでいたことなのだ。

 無防備になりがちなパジャマ姿だというのに、マンソンは実に礼儀正しい。観客を恐怖に陥れたり、悪魔を崇拝したりしている時以外は(彼はチャーチ・オブ・サタンのメンバーだ)、ずっと読書にふけっている。ショック・ロック界に現れた新たな暗黒のプリンスは、アメリカ社会の現状に深いショックを受けていると語る。

「アメリカはもう死んでる。自分が死んだことに気づいてないみたいだけどね。まるで幽霊だ。アメリカは生まれ変わる必要があるよ。これって、クリスチャンっぽいセリフだよね? ぼくはある意味、究極のパラドックスなのさ。キリスト教には大反対だけど、ぼくの価値観の大半はイエス・キリストから教わったことなんだよ」。

 復活、それこそが『Antichrist Superstar』のテーマである。自伝的要素や預言めいた面、社会批評的な側面を持つ本作。作品内では、「ワームボーイ」という人物が翼をもった何者かに変身する様子も描かれている。それを天使と捉えるかそれとも悪魔と捉えるかは、あなた次第だ。マンソンは今回のアルバムが、彼の私生活で起きた暗くつらい変化を反映しているとほのめかしている。また、バンドにも変化があった。レコーディングが始まって間もなく、ギタリストのデイジー・バーコウィッツが脱退してしまったのだ。そのため、ほとんどのギターパートはマンソンとラミレス、そして何人かのゲスト・ミュージシャン(そのうちの一人がレズナー)が担当している。こうして仕上がったのが、破壊的なインダストリアルの音とグラムロックのリズムとが混在する、完成度の高い本作なのだ。

 一方、バーコウィッツの後任として加入した前述のZim Zumだが、彼はメンバーの中で唯一、有名な美女の名も連続殺人犯の姓も使っていない。ちなみに、陰と陽を組み合わせたステージネームをつけるというのもマンソンの構想のひとつ。メディアに洗脳されたアメリカが抱える偽善と自己矛盾――すなわち、華やかな表面の裏側におそろしい暴力性がひそんでいることを表しているのだ。マンソンによると『Antichrist Superstar』は、あらゆる醜悪なものがそう遠くない未来に一気に表面化することを予言した作品なのだという。

 ベッドに腰かけ、控えめな様子でシャツの裾を毛深い脛のほうに引っ張りながらマンソンは言う。「ぼくたちはヘヴィメタル界のノストラダムスみたいな存在なのさ」。

――Guitar World(以下略):子供の頃、キリスト教原理主義者たちの恐怖に怯えていたそうですね。その影響で現在の活動を?

マリリン・マンソン(以下M):その反動とも言えるし、別の見方をすれば、精神的な暴力を受けたことが引き金になってぼくが変わっただけとも言えるね。子供の頃にキリスト教に触れたことは後悔してない。だって、そのおかげで洞察力を養ったり、より真実に近いことを知りたいと思うようになったから。

――おかしな叔父さんの話も有名ですね。

M:それ、実は祖父の話なんだ。ぼくが育ったのはクリーブランドから30分ぐらいのところなんだけど、祖父はよからぬものに奇妙なこだわりを持っていてね。ポルノ雑誌とかいやらしい下着とか、そういう類のものだよ。地下室に電車の模型があって、彼はマスタベーションするときにそのスイッチを入れるんだ。子供心ながら興味をそそられる人だったね。ニューアルバムに入ってる新曲『Kinderfeld』で、彼のことを少し歌っているよ。

――あなたは幼少期に虐待を受けたのでしょうか?

M:ぼくは、トークショーに出て自分は性的虐待を受けたと泣いて訴えるような人間じゃない。虐待って一言でいっても、いろんな要素があるんだ。世の中の人が思ってるほど、単純には定義できないと思うね。

――オハイオを離れ、マリリン・マンソン結成の地フロリダに移った経緯を教えてください。

M:高校卒業と同時に両親が仕事の都合で引っ越すことになったんで、一緒についていったんだ。フロリダで最初に出会った人間のひとりがトゥイギーだよ。当時は別のバンドに所属してたけどね。その後、マリリン・マンソンを結成して『Portrait Of An American Family』をリリースしたんだけど、結成時のメンバーだったベーシストがヘロインでひどい状態になってしまって、解雇されたんだ。それで、もともとギタリストだったトゥイギーが、ベースに転向したんだよ。

――二人はどこで出会ったんですか?

トゥイギー・ラミレス(以下T):ショッピング・モールで。

――そりゃまた魅力的な場所ですね。

M:どういうことかというと、ぼくたちショッピング・モールで出会って、一緒に公衆電話の前に立ってたんだ。モールには小さなカートが並んでて、女の子たちが宝石、つまりイヤリングとかそういうものを売ってたんだよ。で、そこでプリントTシャツを売ってた女の子を呼び出して、彼女が泣きながらモールを出て行くまで、殺すぞと二人で脅し続けたんだ。それで仲良くなったんだよ。モールで意地悪ないたずらをやったのがきっかけでね。

――マリリン・マンソンは、初めて参加したバンド?

M:うん。それまでは歌ったこともないし曲を作ったこともなかったけど、歌詞はいっぱい書いてたんだ。前のギタリストだったメンバーと意気投合して、一緒に何曲か作ったよ。その時に、自分が人生をかけてやるのはこれだ、と決意したんだ。

T:ぼくはマリリン・マンソンの前に、いくつかブラックメタルのバンドで活動していたよ。

――フロリダはデスメタルの天国…というか地獄ですもんね。

M:そうだね。トゥイギーがいたのはぼくたちのライバルのバンドだったよ。デスメタル・バンドというかスラッシュメタル・バンドというか…。

T:ブラックメタルだよ。

M:彼がマリリン・マンソンに加入する直前、一緒に二つのサイド・プロジェクトをやってたんだ。ひとつは「サタン・オン・ファイア」っていうクリスチャン・デスメタル・バンドもどき。キリスト教系のナイトクラブで演奏したくて始めたんだけど、トゥイギーがボーカルで、ぼくはリード・ベースだった。キリストのために歌うデスメタル・バンドっていう設定でね。その手のナイトクラブに潜入して、大混乱を引き起こしたかったんだ。その後、「ミセス・スキャブツリー」っていう別のプロジェクトを立ち上げたんだけど、こっちのバンドではぼくはドラムを叩いて、トゥイギーがリード・ボーカル。彼は黒人女性みたいな格好をして歌ってたよ。

T:その時のビデオテープが今も出回ってるよ。

――キリスト教系のナイトクラブには出演できたの?

M:いや、それは実現しなかったんだ。でも、ラジオで曲を流してもらえたよ。『Mosh For Jesus』って曲さ。

T:ミセス・スキャブツリーのシングルもラジオで流れたんだけど、『ヘルペス』っていうタイトルだったよ。ヘルペスにかかった地元の女の子全員を歌った曲なんだ。

――ということは、相当長い曲なんでしょうね。

M:(笑って)コールリッジの『老水夫行』になぞらえた性病讃歌なんだ。バラード調の曲だったね。

――あなたがマリリン・マンソンを名乗り始めたのはバンド結成前? それとも結成後?

M:結成前だね。文章を書くときによく使ってたペンネームなんだ。(ドイツの哲学者フリードリヒ・)ニーチェの「神は人間である」っていう言葉みたいに正反対の概念を並べることで、自分の主義主張を明確にしたかった。マリリン・マンソンという名前の組み合わせが、アメリカのメタファーになってるんだよ。発音的にも、「アブラカダブラ」みたいに聞こえるしね。力強さがあるんだ。このペンネームを初めて使った瞬間から、これこそ自分がなりたいものだってぼくには分かってたってことだね。

――ではトゥイギー・ラミレスを名乗ったのは?

T:バンドに加入した時だよ。ヘヴィメタルのファンだっていうんで、リチャード・ラミレスが好きだったんだ。それから(60年代のファッションモデルであるツイッギーにちなんで)トゥイギーという名前を選んだのは、彼女が両性具有的な雰囲気を持っていたから。ツイッギーは、小さな男の子みたいな格好をするのが好きだったんだよ。

――トレント・レズナーとはどのように知り合ったのですか。

M:マリリン・マンソンの最初期のライブのひとつにマイアミビーチでのライブがあったんだけど、そこでナイン・インチ・ネイルズ、ミート・ビート・マニフェストと共演したんだ。皮肉なことに、二週間ぐらい前にNINとやった最新のライブでもミート・ビート・マニフェストと一緒だったから、一周した感じだね。ただ、トレントとはマリリン・マンソンを結成した頃に知り合って、友達になってたんだ。共通点がたくさんあったからね。何年も連絡を取り合ってたよ。その後彼がNothingレーベルを立ち上げた時、ぼくたちを最初の所属アーティストにしたいと言ってくれたんだ。

――彼は、あなたたちの音楽にどんな影響を?

M:その時々で違うね。『Portrait Of An American Family』の時、トレントはそんなに深く関わっていなかった。このアルバムに収録したのはどれもライブで演奏していた曲だったから、レコーディングの時に少しアドバイスをもらった程度だよ。『Smells Like Children』の時は、プロデューサーである彼/バンドのぼくたちっていう関係がもっとはっきりして、膝をつき合わせてアレンジについて話し合ったね。そして今回の『Antichrist Superstar』では、これまで以上に大きく関わってくれたんだ。それがぼくたちの望んだことだったよ。時々ギターのパートを弾いてくれたりもして。アルバムに入ってる曲は、トゥイギーとぼくがこの一年半から二年の間、ツアー中に作ってきたものなんだ。ぼくたちが見たいろんな夢がもとになってるんだけど、そういった夢の話を二人でしてたんだよね。どの曲も本当に考え抜いて作った。でも、トレントのような外部の人間にお願いして、ぼくたちのビジョンをまとめてもらいたいと思ったんだ。なんでかっていうと、自分たちじゃ近すぎて客観的に見れないから。他にも一緒に仕事をしたいプロデューサーはたくさんいたよ。たとえば、ボブ・エズリンとかね。でもぼくたちのことを一番知ってるのはトレントだし、仲も良かったから、彼と一緒にやるのがベストだという結論に至ったんだ。

――デイジーはなぜ脱退したのでしょうか?

M:昨年のツアーで、彼との関係が大きく揺らいでしまったんだ。衝突めいたことはそれまでもずっとあったんだけどね。ボーカルとギタリストの間に起こりがちなやつだよ。ただぼくたちの場合はうまくいかなかった上、そこから何も生まれなかったんだ。デイジーは最初から自分のスタイルを表現することに重きを置いていたから、ぼくが望むものとは一致しないこともあった。ぼくはいつも曲やアルバムのことを考えていたし、常に大きなビジョンを抱いてるんだ。でもデイジーは、ちょっと視野が狭い時があった。今回の曲づくりに関しては、彼はほんの少ししか関わってないよ。前は彼がメインのソングライターだったから、問題が多かったんだ。このアルバムでは、今までよりも実験的で自由なアプローチをしたかったんだよね。ぼくもギターを弾きたかったし、トゥイギーだってギターを弾きたかった。(ビートルズの)ホワイト・アルバムみたいにやりたかったのさ。前のアルバムの時とは全然違うところから曲が生まれてるんだ。四日連続徹夜して寝不足になるとか、あらゆる自虐的な行為をやることで、自分たちの潜在意識に働きかけたりして。そういうのって、デイジーにとってはすごく異質なものだったんだろうね。彼は人生をアートにすることに興味がなかったんだ。仕事として捉えてたんだろう。でもぼくたちにとって、人生とアートは一体のものなんだ。脱退は彼にとって悪いことじゃなかったと思うよ。3つの曲で演奏してくれた後、自分の道を歩んでいったんだ。ギターの大部分を弾いたのはトゥイギーで、ぼくも何曲か弾いてる。トレントも1、2曲弾いてくれたよ。いわゆるギターではないものをいろいろ使ったね。キーボード担当のメンバーはローランドの手持ち型キーボードを持ってるんだけど、彼はそれをギターみたいに使うのが好きなんだ。

――ヘヴィで歪んだサウンドを演奏しているのは誰?

M:ほぼ、トゥイギーだよ。

T:アルバムに入ってるギターの85~90%は、ぼくが弾いたんだ。

――使用した楽器は?

T:覚えてないな。スタジオにあったものを使っただけだよ。ぼくはリードギターがあまり得意じゃないんだ。ある曲では、アイアン・メイデンの『Piece Of Mind(邦題:頭脳改革)』(1983年にCapitol/Castleより発売されたアルバム)に入ってるギターソロをいくつか録音したよ。レコーダーにリバースボタンがついていたから、ギター本体のピックアップにつないで逆再生したんだ。絶対分からないと思うけど。今話したから、バレちゃうね。

M:ぼくたち、いろんなことを試したんだ。ギターに高音弦のEにチューニングした弦だけ張って、それをぼくが弾いたこともあったよ。あらゆる種類のチューニングを使ってる。新しいギタリストがバンドに加入したんだけど、彼は今、時間をかけて全部の曲のタブを突き止めようとしているよ。部屋に缶詰め状態でね。このアルバムを作ったときのぼくたちの精神状態は、普通とは違ってた。何をやったのか自分たちにも分からない部分があるんだ。まさに「意識の流れ」だったのさ。

――ギターはダイレクトに録った音が多いように聴こえますね。

M:そうしてるのもあるね。ギターはダイレクトで録るのが好きなんだ。自分たちがデモを作るときに4トラックしか使ってなくて、ギターもダイレクトで録ってるというのがおもな理由なんだけど。それがそのまま最終版のレコーディングに反映されることも多々あるよ。

T:ある曲でベースのパートを録った時に、マイクは使ったけど、プラグインを使わなかったこともあったな。

M:たぶん、『Wormboy』の時だね。あの曲にはギターの音がたくさん入ってるんだ。一番盛り上がったのは、たしか中盤のあたりだったよ。トゥイギーと小型のカセットレコーダーで録音したんだ。曲の他の部分とは、テンポすら一致してなかったんだけどね。スピード優先で、あとから合わせたんだ。もはや、ギターとは思えない音だよ。ウィンドチャイムか何かみたいな響きなんだ。

――ギターに使ったコンプレッサーやノイズゲートについて教えてください。『The Beautiful People』のギターは過飽和でハードコアなサウンドですね。各コードの最後に門が閉まっているような、非常にタイトな音です。

M:まさに、トゥイギーの音だね。彼はいろんなデスメタル・バンドで活動してきたから、かなりタイトな演奏をするんだ。

T:いい右手だね!

M:トゥイギーはいつも、自分はいい右手を持ってるって言うんだ。ぼくはいつも彼がマスタベーションの話をしてるのかと思ってたんだけど、ギター演奏の話みたいだね。

T:今回のアルバムでは、何もかもが見かけ通りじゃないんだ。

M:ドラムマシンで出したように聞こえる音が、実は本物のドラムの音だったりするんだよ。その逆のパターンもあるね。

T:ドラムマシンをアンプにつないで、本物のドラムみたいにライブ演奏したりもしたんだよ。で、その音を消して、もっといいドラムの音を録り直すんだ。ギターを1トラックで録った曲もあれば、27トラック使った曲もあるよ。

M:『Antichrist』では27トラック以上のリズム・ギターと…。

T:5トラックのリード・ギターの音を使ったんだ。

――『Angel With The Scabbed Wings』のリード・ギターを弾いているのは誰ですか?

M:ナイン・インチ・ネイルズのダニー・ローナーだよ。その日、リード・ギターを弾いてくれる人を探してたら、たまたま彼がスタジオにいたんだ。頼んだら、ぱっとギター・パートを作って、さくっと弾いてくれたんだ。

T:ぼくはそのレコーディングの5日前から一睡もしてなくて。あの週は、スタジオで使い物にならなかったんだ。

――では、『Tourniquet』のリード・ギターを弾いているのは?

M:デイジーが担当したうちのひとつがそれだよ。

――いいリードですね。チョーキングの音の中毒性が高くて。

M:そうだね。今回デイジーがやった仕事の中でも最高の出来だとずっと思ってるんだけど、彼はいつもあの曲を嫌ってたよ。ぼくたちの意見が常に違ってたってことが分かる一例だね。

――この『Tourniquet』、あるいはアルバム全体に関してですが、映画『羊たちの沈黙』にインスパイアされたのでしょうか?

M:いいや。不思議な質問だね。もちろん、映画は観たよ。

――昆虫のイメージや変身というテーマ全体が、あの映画を彷彿させます。

M:面白い意見だね。ただ、変身というテーマは、ぼくが社会進化論を研究していて着想したことなんだ。人間は虫から猿になり、最終的にヒトになったという説があるよね。ミルトンの『失楽園』には“不滅の虫”という表現があるし、黙示録でも虫、それから人間における蛹の段階について多くのことが語られてる。ぼくは、その変化っていうのは、始まりでもあり終わりでもあると思ってるんだけどね。必ず繰り返されるサイクルってものがあるんだ。今回のレコード制作中にぼく自身が変態を遂げたわけだけど、今もまだその途中段階にあるような気がするよ。全部、かなり自伝的なことなんだ。ここまで言及した本や、ニーチェの『アンチクリスト(反キリスト者)』みたいな本以外、インスパイアされたものを言うつもりはないよ。タイトルだけ聞くと、『Antichrist Superstar』は悪魔的なアルバムだと受け取られるかもしれない。実際、そうだしね。ただ、ぼくのサタニズムに対する考え方は、みんなとちょっと違うんだ。ぼくは、このアルバムは個人と自分自身の強さについての記録だと思ってる。つまり、たくさんの誘惑や苦痛の中に身を置き、自分の死を目にして、そこから成長したことについての記録なんだ。最終的にアルバムにはほとんどポジティブと言えるような、キリスト教的な要素すらあるんだよ。でもその境地にたどり着くには、ポジティブでもキリスト教的でもないあらゆるものを見る必要があったんだ。

後半へ続く

★★目次★★